【文章の勉強】太宰治『津軽』の写経①
農村の匂いは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄がこれくらいの小さい町にも既に幽かに(かすかに)忍びいっている模様である。(太宰治『津軽』より)
太宰治の文章は、シンプルで読みやすいです。それでいて繊細で、五感に響きます。
どの作品も、文章の勉強になると、感じました。
毎日、どうして、作者はこのような文を書いたのかを深く考えながら写経しています。
純文学とは、これほどまでに奥が深いからこそ、人の人生を変える力があるのですね。
「小さい」と「小さな」の違いは?
ここで、最初に気になったのは、「小さな町」ではなくて「小さい町」になっている点です。
調べてみると、2つの言葉には、はっきりとした違いがあることが分かりました。
- 小さい・・・客観的、サイズを表す
- 小さな・・・主観的、感情的なニュアンスを表す
例えば、「小さい子」とした時には、その子の体が小さいイメージですが、「小さな子」とした場合は、幼くて可愛らしいイメージがあります。
こうして見ると、日本語とは、知れば知るほど面白いです。英語では、たったの1文字で、ここまで意味合いを変えることは不可能です。
なぜ「幽かに」であって「微かに」ではないのか?
太宰は、「かすかに」という言葉を文中で表現する際に、「幽かに」という漢字を使いました。
「微かに」でもよかったのに、なぜ「幽かに」を使ったのでしょうか?
旧漢字と新漢字の違いでしょ?ぐらいにしか思ってなかったのですが、
調べてみると、実は、微妙な違いがあることに気づきました。
- 幽かな・・・ぼんやり。やっと感じ取れる程度であるさま。はっきりとは認められないさま。
- 微かな・・・わずかであるさま。
この文では、「幽かに」のあとに、「忍びいっている・・・」と続けることで、しっくりきます。まるで、ジャブとカウンターパンチですね。
何と言っても、幽は、ゴーストにも使われている漢字ですから。
「微かに」を使っていたら、全くフラットな印象になってしまったことでしょう。
こうすることで、”都会特有の、あの孤独の戦慄”が、まるで、得体の知れないモンスターのような不気味さを帯びてきます。
こういった、ちょっとした漢字の使い方ひとつで、視覚でニュアンスを伝えることができるのは、さすがです。
【最難問】なぜ「、」をあえて省いたのか?
もう、ここまで来ると、印刷ミス?と、思いたくなるのも当然だと思います。
しかし、私は、辛抱強く考えてみました。(もしかしたら、本当に印刷ミスだったのかも知れませんが。)
農村の匂いは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄がこれくらいの小さい町にも既に幽かに(かすかに)忍びいっている模様である。
農村の匂いは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄が、これくらいの小さい町にも既に幽かに(かすかに)忍びいっている模様である。
上の文と下の文では、どちらが自然だと思いますか?
私は、下の文の方が、より自然で読みやすく感じます。
”あの孤独の戦慄が”のあとに、「、」が入っているからです。
では、太宰が、なぜ、あえて「、」を省いたのか?
これは、あくまで個人的な感想ですが、声に出して読んでみると、分かります。
「、」を入れると、より安定感が増します。しかし、「、」を省くと、不安の緊張感が増します。
太宰は、”都会独特の、あの孤独の戦慄”を表現するために、この表現方法をとったのではないでしょうか?
今は、「おひとり様」や「ひとり旅」が人気で、もはや、孤独でいることが当たり前に時代になりました。
寂しいけど、合わない人と過ごすくらいなら、ひとりの方が気楽。という人の気持ちにも共感できるものがあります。
太宰のような繊細な心で、今の時代を見つめたら、きっと息できなかったでしょうね。
白黒はっきりさせることで、文章がより引き締まる
文頭の、”農村の匂いは無く、”を省いても意味は通じます。しかし、太宰は、あえてこれを文頭に入れました。
一体なぜだと思いますか?
「農村の匂い VS 都会特有の孤独」という対極にある二つを並べることで、文章がより引き締まります。
逆に、これを省くと、コントラストが低くなり、よりぼやけた文になってしまいます。
さらには、”匂い”という五感にうったえる言葉を使うことで、より明確にイメージしやすくなっています。
本日の学び
今回は、太宰治の『津軽』から、ひきしまった文章の書き方、ビジュアルで伝える方法、そして「、」の使い方ひとつで与える印象の違いなどを勉強しました。
一つの文章に、これだけ学習要素が詰っているのは、さすがは太宰治ですね。これからも、勉強を続けていきたいと思います。
太宰治の作品は、著作権の期間が過ぎているおかげで、青空文庫やキンドルで、無料で読むことができます。ちなみに私は、紙の方が好きなので、分厚い全集を読んでいます。