【保存版?】人生をハッピーにする究極の資産構築法
私が考える究極の資産構築法は、書店などに並んでいるノウハウ物とは少し違います。ここでは、「資産構築」という行為そのものに対して、しっかりと向き合う方法についてご紹介します。「資産」とは何か?そして私が考える人生の「資産」が増えることで、どのようなメリットがあるのか?などもご紹介したいと思います。
- はじめに
- 「所有物」って何?
- 知識や経験は資産?
- 「愛情」や「悲しみ」は資産?
- 期限付きの資産なのに、どうして人は資産にこだわるの?
- なぜ、資産を築きたいのかを自分に問う
- 資産を家族のために築く人
- 多くの人生をHappyにする究極の資産構築法とは?
- お金を稼ぎすぎるとどうなるの?
- 私が考える「しあわせ」とは?
- 「しあわせ」の語源は?
- 「しあわせ」を感じて今を生きる
はじめに
この記事の下書きを書いたのは3年前。
私が生まれたばかりの我が子と、癌を抱える母と、同じく癌の闘病生活を11年続けていた叔母のために絵を描こうと思い、その前に色々と考えたことがきっかけです。
少し長くなりますが、時間のある方は最後まで読んでいただけると、より分かりやすいかと思います。
※以下、「ですます」調ではありませんので、悪しからず。
「所有物」って何?
人は、資産を「所有している」という言葉をよく使う。
お金を所有しているとか、物を所有しているとか。
資産の代表例として、現金、不動産、有価証券、美術品などが上げられる。
車や家は会計上は資産。しかし、時間とともに劣化するば負債になる。
これらの資産を私たちは、本当に所有しているのだろうか?むしろ、期限付きで借りているという状態に近くないだろうか?(図書館やアマゾンリミテッドの本のように)
もし、所有しているのならば、その人が死んだ時に、死後の世界に持っていくことができるはずだ。今まで多くの権力者たちが、それを試みた。
エジプトのピラミッドに墓を持っていた人たちは、死後の世界でも裕福でいられるようにと、財宝などと供に埋葬された。しかし、財宝はあっけなく海賊に盗まれた。
中には、「法治国家で生きている限りは、それらを所有しているのだから、それを所有していると言うのだ!」と主調する人もいる事だろう。
しかし、本当に所有しているのであれば、有事などによって、財産が取り上げられるということもないはずだ。または、国家が法律に則って、個人の財産を国有化するという事もないはずだ。
知識や経験は資産?
知識や経験は、資産になる可能性は高い。本やノウハウとして、お金を生み出せるからだ。しかし、これも決して所有しているとは言えない。
才能、愛情、家族や恋人などについても同じ事が言える。(苦しみ、悲しみといった感情も含まれる)
この場合は、「有する」とか「いる」という言葉を使うが、それらは決して、その人に常に「有る」わけではない。
死んだら、それらは一瞬にして「無くなる」
この間、良い映画を観た。
どこが良いかと言うと、偉大な画家やその家族が、その才能や働きの偉大さのわりに、結構あっさりと死ぬことだ。それを、淡々と表現している。
「Mr.ターナー」という映画。
立派な生き方をしても、最後は、意外にあっさりと終わる。
なぜだろう?
この疑問こそが、冒頭の答えにつながる結果となった。
「生きている人も死んだ人も、もともと何も所有していなかったからなのだ。」
人は、自分の体を所有していないし、生死をコントロールすることもできない。
健康でいようと努力することはできても、完全にコントロールすることは、難しい。
これに気付くと、随分、気楽になる。
こんな風に考えるのは私だけなのだろうか?
「愛情」や「悲しみ」は資産?
「愛情」や「悲しみ」といった感情は、一過性のものなので資産にはなりにくい。
しかし、そこから「何か」普遍的なルールを生み出し、人の役に立つツールを作り出せれば、資産になる可能性はある。
だが、これも所有しているとは言えない。
ところで、「愛情」「喜び」「悲しみ」「苦しみ」
人々が、それらは所有していないのだとすれば、一体何をしていると言えるだろうか?
それは、人は、それらを「感じている」という言うことができる。一瞬々それらを感じて生きているのだ。
「不安」「怒り」「楽しい」「悩み」などもそこに含まれる。
それらは、長く続こうが続くまいが、今の瞬間から次の瞬間へと「水」のように流れている。
時間と感覚が流れて行かなければ、それらの感覚は永遠に続いてしまう。
同じように、心や体の痛みが終わりなく、永遠に続いているように感じたとしても、それは刻々と微妙に変化しており、終わりへと向かっている。
しかし、それが当然のことであることを受け止めるのは、難しい。
この考え方には、シュタイナーの影響が強いので、彼の詩を書き留めておこうと思う。
『生まれる前の母の祈り』
どうぞ今 この子の魂が
あなたの意志のままに
あなたの世界から
私に授けられますように
『生まれた後の母の祈り』
どうぞ今 この子の魂が
あなたの意志のままに
あなたの世界に向かって
私に導かれて
生きていきますように
ここで、宗教論について語るつもりはない。ここでいう神がどの神に属するのかも問題ではない。ただ、自然を超越する存在、人間のコントロールが及ばない生死をつかさどる存在としての「神」だと思って、私はこの詩の「あなた」をとらえている。
短い詩だが、「BEFORE」「AFTER」の差が顕著だ。
人は、生まれる前は、母のいる世界へ向かって、そして生まれた後は、また生まれる前の世界へ、まるで水が流れるように、さらさらと刻々と向かっているのだ。
このこと事態に「癒し」があり、本当の意味での「平穏」があるのではないだろうか?なぜなら、そこに、人が何かを「所有する」という概念がないからだ。
期限付きの資産なのに、どうして人は資産にこだわるの?
結局は、死んだら、その時点で所有権は親族に渡ることになる資産。いわゆるアマゾン・アンリミテッドの本のようなものなのに、どうして人はそこまでして、資産形成にこだわるのか?
大体、理由として多いのは、
- 資産があれば、自由な暮らしができると思っているから
- 資産があれば、早くリタイアできるから
- 資産があれば、老後が楽になると考えているから
- マネーゲームが好きだから
- 資産があれば、家族や子孫に遺産として遺せるから
これらを、さらに分類すると、5以外は、1~4で一つのグループにまとめられる。
5は、自分以外の誰かを思っての行為、1~4は、自分のことを考えての行為ということになる。
みんな、楽したいし、自分が可愛いという表れかもしれない。
なぜ、資産を築きたいのかを自分に問う
人は、羨ましがる生き物。
「隣の芝(芝生)は青い」ということわざにもある。
誰かが、彼氏からプレゼントされたブランド物をインスタにアップする。そして、海外のリゾートで満喫する様子をブログで読んだら、自分もしたくなる人は多い。
最近、この事を象徴するかのような凄い漫画を読んだ。資本の力が凄まじく、その中で個人が翻弄されている。正直、悪役のはずの主人公に同情したりもした。
この漫画の主人公のように、本当に今自分に必要な資産、そして中長期的に必要な資産がいくらぐらいなのかを、ライフプランを立てて計算している人は少ない。
一攫千金なんて、宝くじでも当たらなければ無い。そう思って行動した方が、人は謙虚になれる。
この「謙虚さ」そして、まわりの人にどれだけ「感謝」して生きていけるか。
これらが、実はお金のまわりを良くするということを、覚えておきたい。
資産を家族のために築く人
資産を構築するのは、もちろん自分の老後のためだけではない。
少しでも、子孫に残すことで、少しは安心してあちらの世界に行ける。そう思う人も少なくないはず。
しかし、「どれだけ資産を残せば十分な額と言えるのか?」は人それぞれ。中には、底なし沼のように何億、何十億あっても安心できないという方もおられる。
自分の人生を犠牲にして、まるで働き蜂のように働いて貯めて亡くなる方もおられる。
それで、残された家族は本当に幸せなのだろうか?
もちろん、少しでもお金を残してくれた方が、家族は助かるけど。・・・バランスが悪い。
多くの人生をHappyにする究極の資産構築法とは?
何事もバランスが大切。
全ての事は、つながっている。
たとえば、子どもに資産を残そうとして働きすぎれば、どんなデメリットがあるだろうか?
子どもと過ごす時間が減るばかりか、もし早死にすれば、子どもの人生を暗いものにしてしまう。
また、夫婦の時間も減り、セックスレスにもなりかねない。お互いに向き合わない無駄な時間を費やし、終いには熟年離婚というケースも多い。
最近では、熟年カップルの約半分が卒婚している。
卒婚とは、離婚しなくても別居してお互いにやりたいように余生を送ること。卒婚はもちろん、幸せに余生を送るひとつの手段として有りだが、夫婦円満であることに越したことはない。
誰かれ少なからず「孤独死」の可能性が待っているから、老後にある程度お金を残しておくことも大切。将来、年金減額がつづく可能性も高い。
こう考えると、そこそこに働いてお金を貯めるという生き方が、一番バランスが良いようだ。
お金を稼ぎすぎるとどうなるの?
ちなみに、なかには億万長者なのに、さらに稼ぎたいという方もいる。ここでも、やはりバランスが大切になってくる。
数十億、数百億のお金がひとりに集中して、その分を使わずに貯めてしまうと、経済がうまくまわらなくなる。稼いでも全く問題はないが、「お金は天下のまわりもの」だから、やはり水のように流れる必要がある。
もし、お金が流れないとどうなるの?
それは、結果的に人口を減らし、国の経済を弱くする。個人レベルでは、しあわせではない子どもが増え、生活のレベルが落ち、不健康な食生活、時間外労働などが増える。自殺者も増える。
それでなくても、日本の人口が減っている間に、世界中の人口が爆発的に増えているのだから、これは子孫のことを考えれば良くないこと。
だからと言って、極端な人口増加もまた、バランスを悪くする。世界中の人びとの食料を担うために、過剰に農業が行われると、地球が作物を作れないような土壌へと変化してしまう。
以上のような事を考えると、人生をハッピーにする究極の資産構築法とは、
- 「バランス」が良い人生を送ること
- 老後資金も含め「そこそこ」の資産を築く
- しあわせな体験をする
ということになる。
死ぬときに、「しあわせな人生だったな」と思えるような生き方をして、なおかつ子どもが自分の葬式、法事、墓代を出さなくても済むような、貯金がある。
できれば、子どもがビジネスに失敗しても、再復帰できるぐらいの事業資金(300万程度)を条件つきで遺す。
私が考える「しあわせ」とは?
今まで、生きてきて、過去を振り返ったときに、「幸せだったな」と感じる思い出は、たくさんあるが、それは何かを達成した思い出ではない。
たとえば、
- 受験で志望校に合格した思い出
- 学校を卒業し、資格をとった思い出
- ブログでバズった思い出
- 仕事で成功した思い出
これらは、「達成感」であって、本質的な意味での「しあわせ」ではない。
「しあわせ」の語源は?
意外に、「しあわせ」の本当の意味を知らずに使っている人は多い。
しあわせは、「しあわせる(為る+合わせる)」の名詞形として室町時代に生まれた語。
本来は「めぐり合わせ」の意味で、「しあわせが良い(めぐり合わせが良い)」、「しあわせが悪い(めぐり合わせが悪い)」と、評価語を伴なって用いられた。
江戸時代以降、「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表すようになった。
更に、事態よりも気持ちの面に意味が移って「幸福」の意味になり、「幸」の字が当てられて「幸せ」と表記するようになった。
漢字の「幸」は手かせを描いたもので、「手かせ」や「刑罰」を意味した。
やがて、手かせをはめられる(刑罰にかかる)危険から免れたことを意味するようになり、思いもよらぬ運に恵まれたことから、幸運・幸せの意味へと広がっていった。(引用:『しあわせ』|語源由来辞典 http://gogen-allguide.com/si/shiawase.html)
もともとは、「めぐり合わせが良い」「運がいいこと」などを意味する言葉だった。
ある人と出会えた「しあわせ」、何かいい事がふと舞い降りた「しあわせ」など、感じ方は人それぞれ。
「しあわせ」を感じて今を生きる
日本特有の道路のガードレールの向こうには小さな海の景色がある。#愛媛 #宇和海 #landscapephotography #japan
実は、何気ないことが「しあわせ」だったりする。
たとえば、
- 家族で、いい雰囲気で美味しいものを食べた
- 学生の頃、友人と冗談を言い合って、大笑いした
- 部活のみんなと、歓喜をともにした思い出
- たまに、外で美味しい物を食べた
- 子どもが生まれた
- 子どもが、生まれてはじめて歩き出した
などなど。こんな何気ない思い出なら、わざわざ、高いお金を出して海外旅行に行かなくても、できる。
リア充無理!とあきらめている人でも、美味しいものを外に食べに行って新しいお店を発見する、ぐらいならできるはず。
安物のカメラでこれほど鮮明に撮れたのは、よほど光のタイミングが良かったに違いない。#愛媛 #宇和海 #landscapephotography #japan
大好きなドラマ、『忘却のサチコ』を例にあげたい。
婚約者に逃げられた主人公のサチコが、食べることで、しあわせな気分になり前に進もうとする。(現在、Amazon Primeに入会していれば無料で見られる)
このドラマの主人公は、美味しいものを食べたから、「しあわせ」を感じたのだろうか?
むしろ食べるたびに新たな発見があったから、そのめぐり合わせに「しあわせ」を感じていたのではないだろうか。
些細だけどしあわせな事をたくさん、思い出の欠片として貯めていくこと。これこそが、究極の「資産」ではないだろうか?
お金は、使ってしまえばなくなるけど、心の「資産」は自分が死ぬまでずっと、自分の心の中から消えることがない。
どんなに辛いときにも、それは小さなマッチの灯りのように、心をともしてくれることだろう。
この記事を、最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。